日記

さくらホール

2008年8月3日

8月3日の上映は大盛況のものとに終わりました。さくらホールでの2回上映で500人くらい。他に芸能の様々なイベントが在る中で、これだけ動員できたのはありがたいです。岩崎鬼剣舞の保存会長は地元の名士で、大分無理くりチケットをさばいてくれたようだ。感謝。足を北上に向けて眠れません。

上映環境も大分良かった。据え付けのスクリーンがグレーで、暗くなってしまうので、急遽変更、はずして、旧ホールの大きな古いスクリーンの方を取り付ける。何年もしまってあったらしく、しわだらけで、所々黄ばんでいるが、しわはポンプ状の霧吹きで、水をかけて乾かすと直ったし、グレーよりは全然いい。音響もよかった。整音で苦労した音空間が反映されていた。

8月1日にはラジオ出演、内容をよく聞かされて無かったのが、マンドリンを弾きながら唄う可憐な地元のアイドル清心(kiyomi)さんと、番組パーソナリティーの菊池さんと3人。映画について少し語らせて頂きました。滑舌がわるくてすいませんでした。

8月2日朝、祭りの始まりとして、北上の鬼剣舞の発祥、元祖である、岩崎にて、北上の15在る鬼剣舞が全て集まり、岩崎鬼剣舞が岩崎城に在る供養碑で剣舞作法による念仏を唱え、神聖な舞、一人加護を奉納する。映画を撮っていた昨年は、ベテランの舞い手が勤めたが、今年は最も若手の白面(踊りのリーダー)がつとめる。

そのあと、市内で、岩崎保育園、岩崎小学校の子たちが、小雨の降る道路で鬼剣舞を踊る。他地域の子たちも同様に。単なるお遊戯レベルではない、かなり難度の高い踊りをしっかり踊っているのは、改めて衝撃を受ける。

映画の会場でもあるさくらホールではこの日は鬼剣舞の全演目公演が行なわれる。18ある全ての演目を、北上に15在る団体がそれぞれひとつ、ふたつずつ、分担して踊る。地域によって、鬼剣舞の踊り方、様式、演奏、クセが微妙に違って面白い。

夜は岩崎の公民館で大宴会。今年は、岩崎に魅せられて、20年以上通い続けている、札幌、京都、そして鼓童のメンバーが母体となった佐渡のメンバーがそれぞれ、踊組を編成して、岩崎伝札幌鬼剣舞、岩崎伝京都鬼剣舞、岩崎伝佐渡鬼剣舞として、この祭りに参加しにきていた。大宴会のあと、踊りの若い連中と一緒にまた、街に出て飲みに行く。この日は踊り手のひとりの家に泊めてもらった。

8月3日は上映日。朝早くに出て準備をする。踊りの方は踊りでイベントがある。

朝9時半一回目の上映。そして、終わってから、同じ会場の隣のホールで、また鬼剣舞や神楽の演目公演があり、それが終わる頃の、こちらのホールで2回目の上映がある、そして、上映が終わって、夜に、北上芸能まつりのメインイベント、市内のメインストリートで、全ての芸能団体がパレードを行い、各テリトリーで演目公演が行われ、(神楽、鹿踊、田植踊り、鬼剣舞等)最後に、鬼剣舞の全ての団体が、一つのお囃子で群舞を踊る。人々が道路にびっしりとじんどって身動きも取れない。それぞれが、それぞれのひいきの団体のそばに集まる。必然的に、人気の団体に人が集中する。鬼剣舞では岩崎鬼剣舞と、二子鬼剣舞あたりが人気らしい。

一回目と二回目の上映の間、時間が空いたので、別の場所で鹿踊を幾つか見た。撮影中、交流のあった、金津流梁川鹿踊のメンバーと久々に会えた。

なかなか慌ただしい3泊4日だったが、やはり、この地の、しかも、芸能の祭典の中で上映ができたのは意義深かった。反応もやはり上々で、笑いと驚嘆、拍手が上映中にも起きていた。2時間40分の長い作品で、時々途中で出て行く人もいたが、すぐに戻ってきた。多分トイレだと思う。子供もずっと飽きずに見てたようで、最後に拍手を頂いたときはぐっと来るものがあった。

今後、岩手での上映、東京の上映、各地での上映を盛んに行なっていきたいと思う。かなりの困難が予想されるが、自分の作品、そして、この岩崎の地の芸能の姿をもっと多くの人に観てほしいと思う。この地域社会のありかたは本当に魅力的で、貴重な存在だと思う。

岩崎地区交流センター

2008年5月3日

愛知芸術文化センター企画でのドキュメンタリー映画『究竟の地−岩崎鬼剣舞の一年』が完成した。5/3に地元の岩崎地区交流センターで完成披露試写会を行なった。

この作品は岩手県北上市、和賀町岩崎に伝わる郷土芸能「岩崎鬼剣舞」とその地域の一年を追ったドキュメンタリー作品である。2006年の12月から2007年の11月までを描き、特に5月から11月までは北上市に住み込んで撮影を続けた。

例によって、ぎりぎりまで作業をしていて、5/2の朝にようやくテープに書き出しを終えて、その足で新幹線に飛び乗って岩手入りし、上映の準備を行なった。

地元の人たちに認知してもらってこそ、作品は完成する。つまりこの上映会こそが、作品の最終仕上げとなる。

当初は撮影の舞台のひとつであった、岩崎小学校が少子化等の影響で近隣の小学校と合併し、新たな小学校となるため閉校となるので、その閉校に合わせて体育館とかで上映会を3月に行おうと思っていたが、やはり統合の混乱や、丁度地元で選挙があったりして、延期し、結局、新いわさき小学校の隣に新しく出来た岩崎地区交流センターで行なうことになった。

5月初旬は丁度農繁期が始まる頃。こちらはぎりぎりまで作業をしていたので、アナウンスはほとんど出来なかった。岩崎地区の広報誌での告知、「岩手日日」という県央中心の新聞にわずかに載った程度で、あとは地元の口コミあたりだった。

上映開始時刻の6時にはまだ、ぱらぱら、という感じだったが、上映が始まって少しして、自分は前列の端っこに居たのだが、後列の真ん中辺りに移動しようかと思って振り返ったとき、ほとんど身動きが取れないくらい満員の人だったので、移動は出来なかった。それほど大きな会場ではないので、多分100人〜200人くらいだったと思う。嬉しかった。

それにしても上映中の反応がダイレクトなので驚く。爆笑あり、驚嘆の声あり、感度のあまりの大きさに圧倒される。この声に作品が押し上げられ、勢いを増し、それがさらに観客の反応(笑いやため息)を増幅させていく。作品がこんなにリアルタイムに生き物になっていく体験は生まれて初めてだった。そもそも自分の作品で爆笑が起ること自体が初めてでもあるが。

もちろん、地元だからであり、顔を知ってるひとも多いので、ということも大きいだろう。子供も大勢来ていた。途中、剣舞の師匠の孫が、師匠に肩車をせがんだり、熱くなってきた会場を抜け出して、廊下で走り回る音が聞こえたり、そうした騒がしさもまた、現場感を、上映している今を浮かび上がらせる感じがして心地よかった。今までの自分だったら、静かに、凝視して集中して見て欲しい、と願っていたのだが、これも初めての経験だった。

2時間40分の長編だったが、反応は上々だった。もちろん疲れたり途切れたりする部分もそれぞれにはあったかもしれないが、途中適当に力を抜いて、最後まで観てくれたと思う。近くに座っていた90歳くらいのおばあさんが最初から最後まで、身じろぎせず、じっとスクリーンを凝視していたのが印象的だった。一体何を感じていたのだろうか。もしかすると、かつてから集落で鬼剣舞を見続けていた人なのだろうか。かつては鬼剣舞のお囃子の音が集落に響くことも珍しくなかった。

上映終了後はあたたかい拍手に迎えられた。初めて見かける、地元の人たちや、先程のおばあさんにも話を聞きたかったのだけど、記者さんとの受け答えをしているうちに皆いなくなってしまった。この時期は農繁期で朝4時起きがあたりまえなので、もう9時になっていたので皆足早に帰宅したのだろう。

ひとしきり片付けが終わると、剣舞会館に移動すると、庭元、師匠、連中たちが飲み会をしていて、待っていてくれた。この、水防小屋を改装して作った小さな建物は、いつも練習会や、公演後の飲み会を行なう場所である。みんな喜んでくれているようだ。いつも向こう気の強い庭元(家元のような存在)は自分の出てる所は恥ずかしくて、ちょくちょく会場を抜け出してたようだ。

実は上映前に庭元から、確認したいからDVD送ってくれるように頼まれていたので、ナレーションを入れ終わった時点で、一週間前くらいだったが送っていた。上映は剣舞の人だけではないので、不安もあったろうし、当然ではある。

ここで一悶着あった。DVDを観た庭元から電話があって、あるシーンが「長すぎるから切れ」と言ってきた。それは長く感じるとか、そういう問題ではなく、ある特別な理由によるものだった。しかし、こちらはさらに別の、より大局に立った視点で意図があったので、そのことを説明すると、庭元も納得してくれた。庭元の指摘は、決して不当なものではなく、それもよくわかるな、と思わせる重要な指摘で、このことで、より岩崎の人の心情を深く理解することができた。結局「お前の作品なんだからお前の好きなように作ればいい」と言われた。

「こっちから頼んだわけでもないし、お前の作品なんだから、勝手に撮って、勝手に作ればいい」という距離感で最初から最後まで彼らと向き合ってきたが、この距離感は作品を作る上で最良の形だったと思える。あまり地元や、郷土芸能団体の側に寄り過ぎてしまうと、なかなかいい作品が出来ないんじゃないかな、と思う。そういう意味で今回の鬼剣舞のドキュメンタリーは絶妙な距離感だったと思う。もちろん、もっと懐に入っていき(結構入って入るんだけど)内部から、ということも必要だったかもしれないが、今回は今回の距離感でしか出せない作品になったと思う。地元の博物館「鬼の館」の学芸員の方は「究竟の地ー岩崎鬼剣舞の一年」については「本当に自然でヤラセなしで、地域社会と芸能、という視点でしっかり描かれたいい作品だった。」と言って下さった。それはこちらの意図していたことなので本当に良かった。実際、撮影のために彼らに何かをカメラの前でしてもらったことは一度も無い。だからといって、これこそがドキュメンタリーだ、などと胸を張るつもりも無い。全てが自然な成り行きの中で行なわれたのだから。

上映後の剣舞会館で庭元が「宝物を残してくれてありがとう」と言ってくれたのが胸に響き、嬉しかった。