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東北巡回上映第6弾・北上市いわさき小学校

2011年も明け、新たな年が始まった。東北巡回上映も続けて来て、第6弾はついにこのドキュメンタリーの舞台となった北上市の岩崎小学校での上映となった。小学校では「岩崎小学校鬼剣舞スポーツ少年団」として、皆鬼剣舞を踊っている。この日1月7日は、彼らの練習始めとしての舞い初め、そして、和賀東中学、北上翔南高校の鬼剣舞部の生徒たちが踊り、最後は餅つき大会、という毎年恒例の地区の行事である。今回『究竟の地−岩崎鬼剣舞の一年』の東北巡回上映では是非地元でやりたいという気持があり、地区の青年会の人たちに相談していて、地元の行事の中で、今回の上映会をやらせて頂くことが決まった。何か特別上映会の機会を持つのではなく、地域の自然なサイクルの中に、今回の上映会を組んで頂いたことは、他の上映会では実現出来ない、地域の内部の一員として、この映画が受け入れられたように感じ、感慨深い上映会になった。
この日もとても雪深い日になった。
地域の奥さんたちは煮物汁物の準備を行っていた。岩崎小学校の皆が舞い初めを行う。指導にあたっている岩崎鬼剣舞の踊り組の「連中」は遠慮も手加減もなく、ずばっと指導する。子供に教えるときであっても彼らは踊りに対してはとても真剣である。
そして、和賀東中学校、北上翔南高校の生徒たちが踊る。私が2006年から2007年にかけて撮影していた頃小学生だった子たちが、中学生になって体も逞しくなり、踊りを続けているのが嬉しかった。時の流れを感じつつも、大きくなったらその後を小さな子たちが続けていく、そういう岩崎の変わらぬサイクルを改めて実感する。
そして餅つき大会で子供たちがはしゃぐ。表情の屈託のなさ、履物をきちんと揃えたり、衣装をきちんとたたんだり、元気に挨拶をしたり、別に躾とか、道徳とか、そういう外からの押しつけでなく、自然にそうしたコミュニケーションがなされているのには感銘を受ける。
そして、いよいよ上映会が始まった。今回は岩崎小学校の視聴覚教室にスクリーンとプロジェクター、そして、椅子はあるけど、前面はござ。手作り感、そして敷居の低いラフな環境、今回の東北巡回上映で一番やりたいなと思っていた形態がまさにこれだったが、まさに地元で実現することになった。これまでの上映会はどちらかと言えばお客さんの年齢層が高めだったが、今回の上映は主に舞い初めを終えた子供たち、小、中、高校生が多く、一気に視聴平均年齢が下がった感じ。撮影してたのが4,5年前なので、かつて小さかった子も高学年や中学生、高校生になったりしてる。かつての自分たちや友達の姿を見て歓声が起きる。子供は成長が早いので変化が著しい。こんなところからも時の流れを感じる。反応がダイレクトで、笑い声、話し声、時々会場を出て行ってはまた戻ってくる。じっと見てる子はじっと見てる。こういうちょっとざわついた上映会もライブ感があっていい。こういう敷居の低い、ラフな上映かをやってみたかった。何か総体としてとてもいい雰囲気の映画だった。地元の朝日新聞、読売新聞、岩手日報、岩手日日の新聞記者さんも記事を書いて下さった。この上映会と作品の意味をよく汲んで下さった、とてもいい記事だった。
上映会が終わって、剣舞会館でいつものように岩崎鬼剣舞の人たちと飲み会。
若手の人たちとさらに街へ飲みにいく。鬼剣舞のひとたちは地域の青年会や消防団にも所属している。沿岸部の津波の時に地域の人たちに避難を呼びかけ続けて逃げ遅れて亡くなった消防団の人たちのことが話題に出た。北上は内陸だったので津波の被害は無かったが、鬼剣舞の彼らは「自分たちが同じ状況だったら、やはり同じことをしてただろう」と語っていた。彼等にとっての地域とは、個々人の自己と地域とが、ある種分ち難いある種の自己同一性を帯びているのだと思う。私たち都会の人間が考えるよりもはるかに地域共同体というものが彼等にとって重要で大切なものなんだと、改めて彼らの言葉から実感した。

東北巡回上映第5弾・秋田たざわこ村。わらび座劇場

12月27日。年の瀬も押し迫った時期。秋田新幹線で角館に向う。この日秋田はすっかり雪深かった。たざわこ芸術村は劇団わらび座の拠点である。わらび座の看板俳優・戎本みろさんは20年来、岩崎に通い、鬼剣舞を習って来た。戎本みろさんとは何らかの形でイベントを行いたいと思っていた。そして、10/23のもりおか映画祭で『究竟の地−岩崎鬼剣舞の一年』が上映された時、偶然わらび座の代表の是政さんが観に来て下さりとても作品に共感して頂いた。
そんな縁もあり、わらび座の小劇場で『究竟の地−岩崎鬼剣舞の一年』の上映、そして、岩崎鬼剣舞を招いての公演という企画が実現した。
わらび座小劇場は普段は稽古にも使われていて、かちっとした座席やスクリーンがあるわけではない。今回わらび座のスタッフが手作りで布を縫い合わせてスクリーンを作って下さった。雪深い中、わらび座のスタッフの女の子が会場前を雪かきしたり、とても手作り感満載の上映会となった。
今回の上映の観客はほとんど、わらび座の座員、そして近所の人たち。座員と言っても一つの村のような感じになっているので、100人くらい集まった。わらび座の人々はそれぞれ民舞や太鼓などの伝統芸能に親しんでいるので、芸能に対する理解が深い。映画の中のちょっとした身体のニュアンスや、発せられる言葉から強い反応があった。笑い、驚嘆、そして映画の中の踊りのシーンに対して拍手が起きたり、他の上映会のお客さんとはひと味違う、通なリアクションがあった。
岩崎鬼剣舞の演舞には、今もなお岩崎に熱心に鬼剣舞を習いに来ている戎本みろさんと、平野新一も鬼剣舞の衣装を着けて共に舞い、戎本みろさんは何と岩崎鬼剣舞のお囃子で神聖な舞「一人加護」を踊った。庭元の強い提案があって実現した機会で、みろさんはとても緊張していた。しなやかないい舞だったと思う。
上映、公演後は恒例の飲み会。鬼剣舞を習い始めた若い座員も混じって岩崎鬼剣舞の人々と親睦を深めていた。こうしてまた、新たな出会いの和が広がっていくのだと思う。

上映会場を雪かきするわらび座のスタッフ

岩崎鬼剣舞の人々の公演・八人加護

 

大勢の人々が喜んでくれました。

上映、公演終了後、早速若いわらび座のメンバーに鬼剣舞の稽古をつける庭元。やっぱり好きなんですねぇ。

 

東北巡回上映第4弾/仙台編

仙台の「能box」は、仙台の演劇芸術の発信と交流の拠点としてユニークな活動を行っている、「せんだい演劇工房10-BOX」の別館として今年オープンした。使用されなくなった個人所有の能舞台を移築し、新たな能舞台として再生、古典の演能だけではなく、様々な新しい表現芸術の発信をチャレンジしている。今回は能舞台にスクリーンを立てて映写する、というこの場所ならではのユニークな上映となった。丁度真後ろの松の絵がスクリーンですっぽり隠れ、そこに映像が映し出される、というのは、能舞台が持つ空間のパースペクティブと融合し、普通の上映では体験出来ないような新しい感覚があった。
まだ、こうした上映のノウハウはほとんどなく、お互い試行錯誤の中で準備を行なって来た。映写チェック中、何故かスピーカーから有線の電波を拾ってるのか、氷川きよしの歌声がうっすらと断続的に流れる。どうも理由がわからず、配線やアンプを交換し、何とか上映開始10分前には解決することができた。劇場のスタッフの方々が親身に対応して下さったので、なんとか無事に上映を行なうことが出来た。
「能box」は仙台でも卸町、という卸問屋の集まる倉庫街にあり、アクセス面で不便な場所にある。また「能box」という場所も出来たばかりで、まだまだ場所としての認知度が低い。今回の上映会については集客面はかなり厳しかった。しかし、映画作品についても、劇場についても、とにかく事実を少しずつ積み上げていくことが大事。いろいろと試行錯誤を続けながら、この場所とも今後、いろんな活動を協力し合っていきたいと思う。
観に来て下さったお客さんの反応は上々で、その点では手応えを感じる機会になった。また、劇場の方々も今回初めてスクリーンで観て頂き、感銘を受けられた様で、今後仙台での上映活動には協力していきたい、とのありがたい言葉を頂いた。劇場の方は「単なる鬼剣舞の紹介映画ではなく、普遍的な問題提起がいくつもあり、自分としてはつぼがたくさんあり過ぎるくらいだった。これを観ていない人にどのようにその魅力を伝えていくのかが難しい」とおっしゃられていたが、確かにそれはこの作品の宣伝についての、大きな課題でもある。ただ、仙台でも多くの協力者との出会いがあったので、仙台での本格的な上映も見据えて、今後地道に活動を続けていきたいと思う。

『究竟の地−岩崎鬼剣舞の一年』東北巡回上映/花巻編

岩崎鬼剣舞公演+『究竟の地−岩崎鬼剣舞の一年』上映at花巻

11/26(土)夜。宮古から花巻の移動。花巻駅に着いたのは夜の8時頃。この日は沿岸部の宮古よりも内陸部の花巻の方が寒かった。駅の周りは暗く、がらんとしている。ホテルに向う途中、法政大学の岡村民夫先生から電話があった。岡村先生とは花巻の上映でトークを行なうことになっている。岡村先生も同じ頃に別のホテルに到着されたようなので、岡村先生お勧めの居酒屋「早池峰」で待ち合わせる。

私と加瀬さんが予約したホテルは「通天閣」という格安ホテル。花巻で「通天閣」という名前の時点でかなり怪しいものだが、これがなかなかキワモノだった。行ってみると「通天閣」という焼肉屋が1階で、上の階をホテルにしているらしい。焼肉屋が本業でホテルがついでみたいな感じ。共同風呂のシャワーのお湯の出が悪く、部屋は暖房がなくて、電気ストーブがあるだけ。凍えそうな部屋でした。夏と冬はお勧めしません。

何はともあれチェックインを済ませて、「早池峰」で岡村先生と合流する。駅前は暗く静かだったが、この辺りはネオン街になっていて賑わっていた。地方都市は大体駅前が閑散としていて、盛り場は少し離れたところにある。「早池峰」は郷土料理の居酒屋で、岡村先生はよく宮沢賢治学会の集まりの後に利用されると聞いた。大変おいしかった。岡村民夫さんは宮沢賢治、柳田国男の研究者でもあり、温泉文化にも詳しく、また映像にも造詣が深い。鉛温泉と「なめとこ山の熊」、宮澤商店と花巻、鉄道、産業、種山が原、鹿踊のはじまり、柳田国男のスイス滞在、黒沢清の「アカルイミライ」と宮沢賢治の近接性など、話の広がりは尽きず、有意義な時間だった。こんなライブ感でトークができたらおもしろいのになぁ、などと思ったりもした。

翌日11/27(日)朝、花巻から新花巻へ電車に乗る。イーハトーブセンターは新花巻の方が近い。東北本線ではなく、釜石に向う2時間に1本くらいしかでない電車に乗る。紅葉の美しい静かな山合いの中にイーハトーブセンターや宮沢賢治記念館がある。おばぁさんたちが落ち葉清掃をしていて、のどかな光景。

イーハトーブセンター長の小原敏男さん、職員で宮沢賢治の弟清六さんのお孫さんの宮澤明裕さんにご挨拶をする。今回はイートーブセンター主催で上映が行なわれ、上映前に岩崎鬼剣舞の公演、上演後に「農民芸術を撮る」というタイトルで私と岡村民夫さんとのトークを行なう。花巻は前日までかなり天気が荒れていたのだが、この日に合わせてくれたかのような気持のいい秋晴れになった。鬼剣舞の公演も野外で出来る。やはり地面を踏みしめてこその鬼剣舞だ。

技術担当の宮澤明裕さんと会場で映写チェックを行なう。プロジェクターが古く、赤みの強さとシャープネスの緩さ、ゴーストが気になる。ポジションに無理があるせいで、縦横の比率が微妙にずれているなどの問題点があった。映画はどうしてもその場所場所の映写環境に左右されてしまう。何とか宮澤さんと設定などを試行錯誤して、何とか出来る限りの改善は出来た。こういう試行錯誤もまた上映活動の面白いところである。

12時頃には岩崎鬼剣舞保存会のメンバーが到着した。踊る場所を確認してもらった。丁度センターまでの下り坂の広く長い階段でお客さんに座ってみてもらい、センターの前の広場で踊ってもらう。周りは紅葉の森。素晴らしいロケーションだ。ちょっと踊り場が狭いかな、と思ったが、問題ない、と言ってくれる。お囃子方の立ち位置も決める。いつもながら場に応じて柔軟に対応してくれる。

お囃子方の座布団を敷いていると、センターの周りにいる野良猫が座布団の上に座って離れない。気持がいいのだろう。職員が離そうとしても爪を立ててなかなか離れようとしない。やっとこさ離れる。この猫、人が来ても全然逃げない。人慣れしてる。といってなつくわけでもない。つかず離れず、いかにも猫らしい。宮沢賢治と猫。どんぐりと山猫、注文の多い料理店などを思い出す。

人も結構集まって来た。70人くらい。前日も上映のみやっていたのだが、合わせて100人くらい。まずまずの入り。

午後1時。通り囃子とともに岩崎鬼剣舞のお囃子方、踊り手のメンバーが登場する。踊り手8人が扇を前に出てかがみ、定位置につく。太鼓の音が響き始める。笛の甲高いメロディーが響き始める。どんどん昂揚感が押し寄せてくる。

最初の演目は一番庭。念仏を唱え、扇を内に払いながら体の浮き沈み、反転を17回繰り返す。鬼剣舞は勇壮で激しい踊りだが、この動作はとても優美で祈りの静寂さと緊張感が伝わってくる。鬼剣舞はやはり祈りの舞なんだな、と痛感する。踊り手たちの気持がびりびり伝わってくる。映画の上映に踊ってもらえるなんて凄く光栄だったし、特別な感慨深い気持になった。踊りは踊り手たちの気持だけではなく、受け手の気持によっても変わる。葬儀であったり、結婚式であったり、年祝いであったり、集落のお祭りであったり、そこに置かれた人によって、踊りの意味合い、踊り自身は変容する。そういうあり方に民俗芸能の強さを感じる。

この日の演目は一番庭、一人加護、刀狂い、膳舞、八人加護。ある意味フルコースとも言える豪華なラインナップ。お客さんにも満足してもらえたと思う。

公演を終え、お客さんたちがホールに入っていく、いよいよ上映である。花巻の人にとっても鬼剣舞というのはわりと身近なんだと思う。公演もだが、上映の反応もとてもダイレクトでいい。笑い声や歓声なども起こる。ある種、お客さんの醸し出す雰囲気が映画というもののライブ感を作り出していくのだと思う。最後までとてもいい反応だった。

上映を終え、岡村民夫さんとのトークが始まる。宮沢賢治学会・イーハトーブセンター主催、ということで、宮沢賢治にフォーカスを当てつつこの作品について語って頂いた。『究竟の地』のタイトルは宮沢賢治の『農民芸術概論』のなかの一節「究竟地」から取っている。『農民芸術概論』で宮沢賢治が掲げた理想。それはある種モダニズム的な感性から語られつつ、一方でモダニズム的な価値観を批判する、自己矛盾的な性質を帯びているのだが、農民芸術概論の考え方は、ゼロから賢治が生み出したのではなく、そういう思想が潜在的に発生する感性の土壌がすでにこの地にあって、ある種岩崎鬼剣舞の、生活と芸能のあり方が、その理想を体現しているかのように思える。宮沢賢治もまた、この土地が潜在的に持っていた感性の土壌から生まれたのだと思う。上映を開催する場所やイベントのテーマによって、映画に当てられる光の方向が変わり、映画自体が持っている意味や力を拡張してくれる。これが上映活動の意義、魅力なのかも知れない。

イベントも無事に終わる。小原敏男さん、宮澤明裕さん、岡村民夫さん、そして会場のスタッフの方々にお礼を言う。本当はこのまま皆さんと飲みに行きたかったが、やはり何よりも岩崎鬼剣舞の人たちにお礼を言いたい。鬼剣舞の人たちは先に北上の岩崎に戻り、いつものように剣舞会館で反省会(=飲み会)を行なっているのでそちらに合流する。

剣舞会館に着くとすでに宴たけなわ。庭元も来ていた。庭元は別の用事があってイーハトーブセンターでの公演には来れなかったので、ここで再会になった。庭元はロジカル、というよりは勘のいい、感覚的な人。早口で時事も交えながら考え、思想を弾丸のように語る。ほんとうに凄い人だなと思う。私は慣れていたが、同行していた宣伝の加瀬さんは圧倒されていた。加瀬さんもようやくこの洗礼を受けたわけだ。初めて撮影で岩崎に来たのは4,5年前。いつもと変わらない光景が目の前で繰り返されていたが、かつて若手だった踊り手たちは、今はとても頼もしく、責任感と自信に満ちているように感じた。翔南高校を卒業した若手の踊り手たちも新たに踊り組に加わり、世代のバトンは確実に受け継がれているな、と感じる。それでも2年3年、5年10年先を考えると、やはり大変だ。いつもギリギリの中で何とか伝統芸能を、今を生きる芸能として維持していってるように感じる。鬼剣舞を愛してやまない彼らの心、そして、その芸能を中心に絆を深めている地域の共同体。そんな彼らの存在こそが、やはりこの映画、そして上映活動の原点だと改めて痛感させられた。そのことを決して忘れず、今後の上映活動にまた邁進していきたいと思う。

『究竟の地−岩崎鬼剣舞の一年』東北巡回上映/宮古編

11/25(金)夜。

宣伝を担当しているcontrailの加瀬修一さんとともに、浜松町のバスターミナルから、岩手県宮古市へ向う夜行バスに乗込む。鬼剣舞の里である北上市にはよく夜行バスを利用していたが、沿岸部である宮古へバスで行くのは初めてである。北上市や盛岡市は主要幹線道である東北道が通ってるが、宮古に行くには東京から盛岡に東北道を北上し、その後盛岡から直角に東へさらに2時間ほどかかる。沿岸部のアクセスの困難さ、平時でも経済的な恩恵を受けにくい地域であるが、復興の遅れ、難しさをそのロケーションから改めて実感する。夜の10時に浜松町を出発して、宮古に着いたのは翌朝の11/26(土),7時過ぎ。約9時間の道程である。バスを降りると、鋭い朝の冷気が肌を刺す。

宮古には今年の6月、ボランティアとして訪れたことがある。あの時は商店街の1階部分は破壊され、打ち捨てられた家屋にスプレーで「解体OK」と書かれた文字が痛々しかった。今は街も建物もだいぶ綺麗になり、1階部分がリフォームされて真新しくなり、生活の再建が始まってると実感する。上映開始までだいぶ時間があるので、街を歩いていたが、海に近づくにつれて、やはりまだ、壊れたままのところや、建物の基礎の痕しか無いところも所々あった。生活、営業を始められる人、諦めざるを得ない人。こういう災害は、平時には見えない個々人の置かれた状況の格差を露呈させる。

実は6月にボランティアに来た時は、シネマリーンという映画館の存在を知らなかった。場所を調べると、大きな生協の2階にあるのだが、この場所、ボランティアの拠点になっていた社会福祉協議会や、寝泊まりしてた公民館と目と鼻の先、しかも食料を買いにこの生協を利用していたことを思い出した。この時はここに映画館がある何て知らなかった。これも奇妙な縁である。

シネマリーンは2スクリーンで、それぞれ85席、62席。立派な作りである。映画館は協同組合形式で、街の人々の有志が会員となって会費で運営が成り立っている、ミニシアターとしては異例の形態。人口約5万人の規模で、東京で言えばユーロスペースやポレポレ東中野のようなミニシアターが成り立っている、というのが奇蹟に思える。街の文化意識の高さを思わせる。ただ、やはり運営は厳しくて、途絶えた時期もあり、10年くらい前?にまた復活したそうだ。それでも運営は綱渡りの状態で、今年は特に震災でかなり運営が厳しいようだ。

朝、10時に生協が開く。1階は大きなスーパーでその脇の階段を上がると、2階はゲームマシーンやプリクラの機械など、ちょっとしたゲーセンのようになっている。映画館はその向かいの2階にある。人の流れが発生する場所に映画館があるのはいいことだと思う。買い物ついでに、ゲーセンに遊びに来たついでにふらっと映画館に入る、というようなあり方が実現してればいいな、と思う。だが、やはり客層が分離している印象だ。近年映画というものがある種、文化・教養の側に位置づけられ、敷居が高くなり過ぎてはしないか、と思う。映画というものがかつて持っていたある種の見世物小屋的ないかがわしさ、ふらっと入れるような敷居の低さが、映画というものが活力を取り戻すには必要なのではないか、と思う。

今回は【ジモトエイゾウサイ】と銘打って『究竟の地−岩崎鬼剣舞の一年』だけではなく、三陸鉄道とともに生きる人々を追った『おらほの鉄道~三鉄沿線奮闘記~』や岩手県発の自主映画数本とともに11/26〜11/30までの5日間行なわれた。朝10時40分から始まった『究竟の地−岩崎鬼剣舞の一年』はさすがに動員は厳しかった。あとは残り4日で、できるだけ多くの人たちに観てもらえることを祈るばかりである。今日中に花巻に移動しなければならなかったので、次の『おらほの鉄道~三鉄沿線奮闘記~』だけ観ることが出来た。日本映画学校の卒業制作として山田町出身の鈴木宏子さんら同級生4名が、宮古市のアパートに泊まり込み、約7カ月かけて撮影し完成させた作品である。作品としては弱いと感じたが、実はそのまえに三陸鉄道開通時の県政映画が流れた。高度成長まっさかりのような三陸鉄道開通の昂揚感、そのあとに流れた『おらほの鉄道』での三陸鉄道の衰退のコントラストが鮮やかで非常に印象的なプログラムとなった。やはり映画の強さは作品単体の力だけではなく、それをどういう場でどのように観せていくか、ということに大きく依る。それは『究竟の地』の上映活動を通じて痛感するところでもある。しかしこの三陸鉄道の県政映画、さながら60年代の高度成長期の風景に見えたが実は80年代である。開発が20年遅れてる。東北沿岸部という地域の持つ難しさを改めて実感させられた。

『究竟の地』の上映を企画して下さったのはシネマリーンの支配人である櫛桁一則さん。もともと設計事務所で勤務されていたが、映画を愛してやまず、シネマリーンとして映画館が復活した時から支配人になられた。メジャー作品だけではなく、ドキュメンタリー作品の企画も精力的に行われ、また、沿岸部などの移動上映会なども盛んに企画されて来た。特に震災後は被災地の仮設住宅や集会所などへの出張上映会を精力的に行われている。今回シネマリーンや櫛桁さんの存在を知ることができて本当に良かったと思う。地域地域にはまだ私たちの知らない、ユニークで精力的に活動されている方がたくさん居るのだと思う。

上映後はボランティアの時にお世話になった社会福祉協議会を訪れる。ボランティアを束ねるのは、かつて地元でパンクショップを営んでいた千葉智広さん。千葉さんも津波で店が流され被災されたが、内外のボランティアを束ね、街の復興に尽力されている。瓦礫の撤去やヘドロのかき出し、仮設住宅への慰問活動など多岐に渡るがそれだけではなく、地域発信のフリーペーパーも発行し、積極的に地域の人たちの声を内外に発信している。がんばろう、助けよう、だけではなく、地域の多様な声をユニークな形で発信していくことは心のより多様で本質的な復興に繋がっていくのだと思う。私たちも、その地域地域から何が発信されているかを感じ取ることが大事だと思った。千葉さんとは、「仮設住宅での慰問上映なども行ないましょう」などのアイディアも出て、新たな展開の可能性が見えて来た。

まだまだゆっくりしていきたいところだったか、次の日が花巻での上映だったので、夜には花巻に着いておきたい。宮古から長距離バスで盛岡まで西へ2時間。100km近くある。遠い!岩手県の広さを改めて実感する。そこから東北本線に乗り換えて花巻まで30分ほどの道のりだった。